顶点小说
会员书架
首页 >仙侠修真 >梦幻如真物语 > 分节阅读 214

分节阅读 214(1 / 2)

上一章 章节目录 加入书签 下一页

明門の桔梗紋、謎めいた天海、そして春日局と、謀反人のはずの光秀の匂いが強く徳川の世に残っているということは言えるだろう。

かごめかごめ

さて、突然ここで話しは大きく飛ぶ。童謡の「かごめかごめ」である。日本人なら誰でも知っているあの歌である。昭和36年に出版された全国童唄集わらべうたでは、この歌の発祥の地を千葉県野田市の愛宕神社写真としているが、そういえば本能寺の変の前の光秀の連歌会の場所も愛宕神社であった。私は愛宕神社と「かごめ」を結び付けるものは何も知らない。情報求む

ところでこの歌の意味をご存知の方はいるだろうかご存知ならば教えて頂きたい。謎なのである。一説には天海が残した謎掛けだという。

この唄は江戸時代の竹堂随筆という童謡に関する最も古い文献にも登場しているが、現在のものとは少し違うようだ。しかし歌いがれてゆく童謡に正式なものなどあるはずもなく、わかる範囲内で考えるしかないだろう。

「かごめかごめ籠の中の鳥はいい出やる夜明けの晩に鶴と亀がすべった後ろの正面だあれ」「出やる」は「出よう」という説もあるが定かではない。私もこの歌の解読は出来ないが、少しだけ考えてみたいと思う。ここでこれを取り上げるのは、この歌が天海の作とされ、また光秀とも関係がありそうだからだ。

謎解き

まず「かごめ」である。おそらく「籠目」であろう。籠を編だ六角形のことを言っているのではないか。「籠の中の鳥」は「六角形の中のニワトリ」と考えられる。なぜニワトリかというと、この歌の2番に出てくるからだ。2番があること自体知らない方があるかもしれない。2番もやはりかなり難解である。後で紹介しよう。その前にニワトリだが、ニワトリは古来から時を告げる鶏であった。「時を告げる」は「土岐をげる」ではなかろうか。まり光秀天海や春日の局ら土岐氏の存在を暗示しているのではないだろうか。

「いいであう」は「い存在を明らかにするのか」ということ。これは「この歌の謎が解かれるのはいだろうか」とも思えるし、「土岐氏はい登場するのか」とも思える。

「夜明けの晩」は方角を表わしていると思われる。「鶴と亀」はいずれも日光東照宮にいる。「すべった」は「統べった」で、まり「鶴と亀が統治した」となり、「鶴と亀」は「徳川と土岐」ということになるのではないか。天を舞う鶴が徳川で、亀が土岐だろうか。

日光東照宮の中の眠り猫の門を過ぎて奥の院に向かって階段を上ると家康の納骨堂がある。その前の小さな池に鶴と亀がいるのだ。鶴は鍵をくわえている。どこの鍵なのだろうか。

東照宮の中央に「鶴と亀」の彫刻を置いたのも意図的なことではないかと思う。縁起の良い鶴と亀、天を舞う鶴と地を這う亀が一緒にいるということは、天と地が秩序が正しいということだろうか。社殿の配置的には、表門を入ると正面にこの中神庫があり、この軸線をまっすぐ北に延長すると本殿をかすめて奥社を、逆に南に延長すれば参道を経て、江戸を指していることになる。

籠目

「かごめかごめ」を作ったのが「天海光秀」と仮定し、彼の視点からもう少し考えてみよう。明智家の出は岐阜の可児である。可児から夜明けの方向を見ると日光があり、後ろの正面となる晩の方角はその逆方向になる。あの本徳寺がある方角である。本徳寺を後にした光秀は天海となって江戸、日光に向かったのだろうか。これら全てが偶然とはとても思えない。

家康が葬られたのは静岡の久能山である。久能山から見て鬼門の方角には富士山、世良田東照宮、日光が並でいる。逆に日光東照宮から見て裏鬼門の方角には天海が祀られ、慈眼堂が建てられている。これも偶然ではないだろう。

また可児と家康ゆかりの久能山、幕府直轄地で経済の源とも言える佐渡金山、明智一族が移動した福井、そして江戸、日光を結ぶと六角形、まり籠目になる。

ちなみにイスラエルの国旗にあるダビデの紋も六角形のカゴメである。天海のもう一の名を慈眼大師、フリーメイソンの目を思わせ籠目の六角形とも繋がる。光秀が信長に仕えていた頃、信長の娘婿蒲生氏の家臣にユダヤ人のロルテスがいた。ロルテスは蒲生の家臣として西洋の会計や測量技術をもたらしたが、光秀はロルテスの影響を受けているのではないか。彼の築城術はここから来ているのかもしれない。この築城術で日光東照宮を建てたかもしれない。東照宮はまるで要塞のようである。

かごめの続き

「かごめかごめ」が徳川家、明智家、天海が絡む複雑な暗号歌である気がして来ただろうか。この歌の続きを紹介しよう。これは当サイトの掲示板に入った情報によるものであるが、信憑性を感じるものだったのでここで改めて紹介する。詩人の谷川俊太郎氏の編による日本マザーグースの中で紹介されているらしい。

「向こう山で鳴く鳥は、信心鳥かニワトリか。金三郎のお土産に何もらった。金ざし、かざし、買ってきた。納戸のおすまに置いたれば、きうきうネズが引いてった。鎌倉街道の真中で、一抜け、二抜け、三抜けさくら。さくらの下で文一本ひろった。あくしょ、あくしょ、一本よ」最後の歌詞には別のものがあり「桜の下で文一本ひろった」から「その文だれだ。金三郎の妻だ。金三郎の妻はさしょにむせた」と続く。

さっぱりわからない。後で別の人が付け加えたもので何の関係もないものかもしれない。しかし一概にデタラメとも言えなさそうである。「一抜け、二抜け、三抜け桜」は、東照宮の門を表わし、表門、陽明門、唐門を抜けると拝殿に至り、その拝殿には三十六歌仙が桜の彫刻で飾られているのだ。この歌仙のどこかに謎があるのだろうか

また「向こう山で鳴く鳥」に対応する可能性として東照宮の東南方向には鶏鳴山があるが関係ないだろうか。

現段階で私がわかるのはこれくらいだ。何かヒントをかだ方があれば教えて頂きたいものだ。

結びとして

点击切换 [繁体版]    [简体版]
上一章 章节目录 加入书签 下一页